JOURNAL音楽祭かわら版
2022/11/23
和歌山城にある“太陽の塔”
撮影:黒岩正和
“太陽の塔”が和歌山城にあると言ったら信じていただけるだろうか。この夏、大阪中之島美術館で開催された『展覧会 岡本太郎展』で私はそれを確信した。
岡本太郎と和歌山には共通点がある。まず、ここ和歌山は南方熊楠が生まれた地であり、弘法大師がひらいた高野山を抱える地である。南方熊楠を知っている方には、彼が粘菌というミクロの世界に巨視的な宇宙を見ていたというのは有名な話で、彼は“南方マンダラ”と呼ばれる独自の図を描いた。一方で、高野山は言わずもがな仏教の聖地で、仏教は“両界曼荼羅”と言う1対の図でこの世界を描いている。これは偶然なのか。私はそうではなく、和歌山がそもそもマンダラの世界なのだと思っている。
岡本太郎は美意識の根底に縄文土器にみせられた呪術的なものを抱いていて、それがマンダラとして形を成したのが“太陽の塔”だという説を聞いた。そう、和歌山と岡本太郎は「マンダラ」を通して一直線でつながっているではないか!
こう考えると面白いことがある。それは万博公園にドでかくそびえる“太陽の塔”が入口の方、つまり南を向いているということだ。その直線上にあるのは和歌山だ。“太陽の塔”には「過去」「現在」「未来」がテーマの3つの顔があるが、「現在」の顔は腹辺りの低い位置で、これは確かに入り口を向いているだろう。しかし頂上にある「未来」の顔。これがこの位置になくてはならない理由は、実は太郎が日本の未来を和歌山に見ていたからではないか。和歌山のこれからを担う子どもたちに“太陽の塔”はエネルギーを送ってきている--。
しかしエネルギーを放っているのは大阪吹田の“太陽の塔”だけではない。もったいぶったが、冒頭に話した通り、和歌山にも“太陽の塔”があったことに気が付いた。和歌山城にそびえ立つ樹齢500年の大クスノキだ。城の北東、すなわち鬼門に位置し、その守護を任されている大木は戦禍にも負けず、江戸時代から和歌山人を守り続けている。城はこのクスノキに向かって建っている。これを“太陽の塔”といわずになんというのか。
『展覧会 岡本太郎展』終了後の10月半ば、和歌山の“太陽の塔”の足元で開催された「きのくに音楽祭2022」と同じように、2年目に突入した和歌山城ホールの催しは、和歌山の未来に、子どもたちに力を与えることになっていくだろう。